きゃ~っ! 久しぶりのブログの更新ざます。こんにちは皆様!お元気でしたか?鑑定や日常生活のあれこれ雑多に追いまくられ(って言い訳ですけど)、なおかつ元来の怠惰モードにかまけて、1ケ月以上ブログ凍結状態で、ここまで来ちゃいました。にゃはっ!
・・・今回は、niceフォローな男の話・・・ってつまり、私の亡き父のniceフォローな話です。
以前のブログ記事で紹介したことがあるけど、私の両親はずいぶん長い間、父の愛人問題を軸とした父の女問題で、夫婦の不協和音ってやつですかね、幼い私から見ても、いつもぎくしゃくしていたナーバスな感じの両親だった。
私の父は、なんというか、とりとめのない、何と表現すればいいのだろう、こう女性の扱いが優しいというか、まさに『優男』という表現がピッタリの男性だった。ま、自分のやっていることがやっていることだから、自業自得なんだろうが、女問題の件で、マックスに狂い咲いた母が父に椅子をぶつけたり、包丁を突きつけたりしても、母に対して、優しく、手など上げたことなど一度もなく、母にいつも殴られていた優しい父だった。
そんな父が、57歳の終わりに下咽頭癌の末期であることがわかり、苦しい闘病生活の後で亡くなったのが59歳。
母は、父が亡くなった後、さかんに、「アノ人は、ああやって死んだのは自業自得だよ。バチがあたったんだよ。神様は本当にいるよ。私をこんなに苦しめたんだからね。」「アノうそつきは死んで当然。私はこれから自由に楽しく生きていくんだから!」と私に言い続けていた。他人様が聞けば「ひどい母」と思うだろうが、私からみれば、母は、父に対して罵詈雑言を吐くことで自分のバランスを必死に保っていたようにしか思えなかった。それは、父の臨終の後、母が約1日間、発狂状態になってしまったのを私は知っているからだ。この時のことはあまり思い出したくないし母とも絶対話さないが、あの時の母を見て、「アナタ、やっぱりお父さんのこと愛していたのね」と強く実感したのだ。
そんな父が無くなって、納骨も済んだある日、私と母は、父のベッドを処分しようと敷き布団をぺろっとめくったのだが、何とその下から手紙が出てきたのだ。手紙は封筒にも入っていず、便箋が四つ折にしてあった。母は私に向かって、「なんだろう?」と言って、その便箋を広げた。
・・・それは、父が亡くなるちょうど一ヶ月前に書いた母と私への短い手紙だった。
内容は、
「○○(母の名前)様 やはり、あなたを一番愛しています。これからもずっと愛しています。ありがとう。
広子(←私の占い師上の源氏名はHirokoだが、これが本名。あ~どうでもいいけど)様、次の世でまたあなたと会いたい。 」というものだった。
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私と母がこの手紙を読んで、泣き崩れ崩れ落ちた。
女問題を軸としたとんでもないここには書けないようなビッグハプニングの数々を起こした父だったが、まさにこの手紙一枚で、母の中ではすべてALLチャラになったというのは、いうまでもない。
さんざん、感動の涙を出し、泣きつくした私なのだが、冷静になってあらためて考えてみると、「さすがっ!我が父、さんざんいろいろやっても、締めがやはり『ナイス!』だ、これが真の『優男』だよね~」とあらためて、父のある種の『匠な技』に感動してしまったのである。まさに、終わりよければすべてヨシというアレである。
仕事がバリバリできて、お金もわ~っと稼いで、社会的ステータスがある男っていうのもかっちょいいけど、女性に対して優しい気遣いが出来ない男ってミリョクゼロだよね。「やっぱり私の父はサイコー!」と時たま実感してしまう自他共に認めるファザコン気味の私なのである。